ミャンマーと仏のココロ

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モノを持たない幸せ2<貧しい途上国から学ぶ>

前記事の第二弾です。「ミニマリスト」についてです。

バックパッカーをしていて、最小限のモノで生活をしていたということと、その旅中に出会う発展途上国の貧しい人々にも色々気付かされました。

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そして日本は「ミニマリスト」を実践するのに難しい国なのかもしれないなと思いました。

約1年間を東南アジアの発展途上国の国々を旅しました。
旅ではたくさんの人に出会い、みるからに貧しい人のお家にお邪魔させてもらうこともありました。
途上国支援というものにも興味があったので、現地の支援団体の活動に参加させてもらうこともありました。

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途上国の「ミニマリスト 」

貧しい、お金がない、ということはモノがたくさん買えません。
ギリギリの生活をしている人々は、必要最低限の食料や衣料のみ持ち合せています。

まさに「ミニマリスト」である思います。彼らに余計なインテリア雑貨や予備の靴などはありません。そして彼らには、余計なモノなど必要としていないように見えました。
もちろん余分に貯金などできればしたいと思っていますが、それを重要視はしていません。

自分は高い車も豪華な家もいらない。食事ができて、家族が元気ならそれでいい」と言っていた貧しい村の人の言葉を思い出します。

モノを持たないことは不幸せか 

ここに、日本との価値観の違いを感じます。 

正直、日本の環境はモノを持たない人にとって肩身が狭く感じられることが多いように思います。
日本中にモノが溢れ高級な物ブランド物がもてはやされます。
広告業界は次々と人間に新しいモノ、便利なモノを欲しがらせ、モノを持っているほうが幸せだと誘惑します。
流行り廃りを謳い、流行に乗った服装をすること、同じものを使い続けることよりも新しいモノを追いかけていく方がカッコいいという風潮は「ミニマリスト」には向いていません。

新しいモノを手に入れると、嬉しい気持ちになることも事実です。
しかし、その頻度が高いほど新しいモノを手に入れても幸せを感じにくくなります。

本当の幸せ豊かさというものはお金を使って感じられるものですか?
私はモノではない本当に大切なことを貧しい途上国の人々から教わった気がしました。

LESS IS MORE 自由に生きるために、幸せについて考えてみた。

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